会社の生活からスタートして、今は念願のマイホームへ! 音楽・バイク・ゴルフなど色々紹介したいと思います。
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サラリーマンパグ犬!刻音&蘭丸
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刻音&蘭丸父

Author:刻音&蘭丸父
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2008.04.29 Tue
///目///


先日、ビートがやたらと手で目を描いていました。
よ~く見るとビニールみたいな物が、コンタクトレンズの様に入っていました。
気が付くと無くなってはいましたが病院へ行った方が良いのかな~

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2008.04.28 Mon
「踊る総選挙」

取材を予定していた場所に近づくにつれ、リズム感のある音楽が段々大きく耳に届くようになってきた。タクシーの窓越しに、さびれた商店街の四つ角に目をやると、揃いの黄色いシャツを着た中年女性たちが一緒に踊っていた。
 4月初め、私は韓国総選挙を取材するため、韓国西南部の港町、木浦(モッポ)を訪れた。永く、金大中元大統領の側近を務めた人が無所属で立候補したと聞き、取材をしてみようと思ったのだ。
 到着したのは午前11時15分。渡された予定表には「11時30分から遊説開始」となっていた。しばらく、女性たちの踊りを見学することにした。
 流れてくる音楽は、昔韓国で流行った歌ばかり。演歌調ポップスとでも言えばいいのか、リズムのあるアップテンポの曲が流れる。ちょっと違うのは、歌詞が、立候補者をたたえる内容になっている点だ。「永遠の同伴者、○○」「木浦の宝物」といった調子。それぞれの曲によって、微妙に振り付けを変えるところが凝っていた。女性たちの背後に駐車した選挙カーには大型のスクリーンが備え付けられ、立候補者の在りし日の栄光の場面を延々と流している。
 気が付くと時計は正午を回っていた。いい加減、足が疲れてきた頃に、候補者が到着。大音響で演説を始めた。曰く、「木浦に一番、予算を持ってこれるのは誰だか、分かっていますか」「金大中大統領と昨日も電話で話をしました」などなど。私が「これは、日本でむかーし、流行っていた演説の調子では・・」などと思っていると、突然、候補者氏は「日本の朝日新聞も大きく報道しました。いかに私が世界的に注目されているか、おわかりでしょう」と言い出した。
 はて。私はまだここで取材中。原稿は一行も書いていない。きっと、昨日、選挙事務所に取材を申し込んだのを、勝手に誇大宣伝したのだろう。おかしいやら、憤慨するやら、妙な気分になった。
 韓国も完全な自由選挙に移行してすでに20年。色々な大統領が現れ、ダイナミックな政権交代も実現した。民主主義の勉強という意味では、日本よりも経験豊富な点がいくつもある。ただ、草の根で眺めてみると、日本の政治風土の方がいくらか成熟しているところもあるのでは、と改めて思った。
 演説が終わって、選挙事務所の取材も終えたのが午後3時前。それからバスに乗って、東南部の釜山に移動することにした。バスターミナルの女性に「木浦から釜山まで何分?」と聞いたら、「5時間半」という答えが返ってきて驚愕した。昔、「アフリカは南北の移動は早いが、東西の移動は恐ろしく不便」と聞いた言葉を思い出した。東西の地域格差が続いてきた韓国には、こうした負の面もまだまだ残っている。痛む腰をさすってバスを降りたとき、すでに時計は午後9時を回っていた。

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2008.04.28 Mon
「脱北者」

1月下旬の午後、私は海の見える小高い丘で人を待っていた。面識はなかったが、約束した時間から5分ほど遅れて現れた青年をみて「この人だ」とすぐに直感した。浅黒い肌に短く刈り込んだ髪。焦げ茶色のジャンパーに、灰色のややくたびれたスラックスという姿は、行き交う他の韓国人の姿とは明らかに違う。彼は07年6月2日に青森県深浦港に小舟でたどり着いた脱北者だった。
 彼は28歳。近くの雑居ビルの地下にあった古ぼけた喫茶店の隅で話を聞くことにした。「まだ親戚も残っている。名前や住所など、詳しい事情は明かせない」。次男はそう切り出すと、あらかじめ砂糖もミルクも一緒に入れた、一杯2千ウォンの安いコーヒーをすすりながら、当時の様子を語ってくれた。
 68歳の父、62歳の母、31歳の兄と一緒に、北朝鮮の地方都市で暮らしていた。彼は高卒後、漁師になる道を選んだ。「17人いた同級生のうち、14人は軍に入った」。漁師の道を選んだことが、一家に幸運をもたらした。「イカやウニ、ナマコを捕った。ウニは昔日本に売ったが、輸出できなくなり、最近は中国に輸出している。価格は半分くらいだ」。それでも、一日に2~3万ウォンの収入があった。「数万ウォンで一家が一月食べていける」北朝鮮では、恵まれていた。06年には、脱北に使った舟を買った。エンジンやオールなど、すべて含めると200万ウォン(北朝鮮通貨、実勢で10万円ぐらい)だった。
 脱北を決意したのは「自由がなかったからだ」と言う。海で漁をするためには、運航証や技術資格証など12種類の許可証が必要。3カ月更新で、一枚更新するために、発給元の保衛部員らに賄賂が5万ウォンほどかかった。
 船の操作には自信があった。3日間、ずっと海上にいたこともあった。「あの時期は一番波が穏やか。枯れ葉を錨にしても、舟は動かない、という俗諺があるぐらいだ」。「日本人は驚いたかもしれない。でも、私には自信があった」
 今、彼は父母と3人で50平方メートルにも満たないアパートで暮らす。韓国政府は一時金として500万ウォン(約60万円)を渡し、今は3カ月に1度、300万ウォンを3人に支給しているが、それも3回で終わるという。
彼は自動車学校に通いながら職を探すが、前途は厳しそうだ。「朝鮮の教育水準は世界140位ぐらいだ。とても、韓国では就職できない」。周囲に知人もできない。「孤独だ」「体制が変われば、すぐにでも故郷に帰りたい」と漏らした。
彼が「今は小舟がどうなったかが一番気がかり」と繰り返したので、日本政府の知り合いに調べてもらった。廃棄処分になっていた。それを電話で伝えると、とても残念がっていた。後日、この日のインタビューが載った朝日新聞夕刊と、小舟の写真が掲載された朝日新聞を一緒に郵送した。その後、彼から連絡はない。

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2008.04.25 Fri
リフォーム!
私は、6ヶ月なのに7?オーバーで急に大きくなってしまいました。
そこで、リフォーム致しました。


狭かったな~うんうん!


社長が一生懸命に作業へ!


これでゆっくり過ごせるね!


社長=お金が~~~~~~~


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2008.04.23 Wed
☆歯☆
今さっき歯が抜けました。
じゃれていたら、突然社長の手に血がついてました。
社員が歯を見つけてくれました。


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